そのお兄さんとのこと――あくまでもお兄さんのことではなく――は幼な心にも割としっかり覚えていて、そこと繋がって初めて、だったらやはり夕飯に手をつけなかった女の子は私だったのかな?って思うというか。
たしかに記憶の片隅に、とってもひもじかった記憶が何となく残っていて、あれがあるから逆に長じてからの私はやたらと食べ物に執着している気もするの。
そうしてね、美味しいものを食べるときは「お母さんにも」という気持ちも、心の中にふんわりと残っていて。 時折思い出したようにそれがざわつく時がある。 そう。羊羹《ようかん》を持ち帰りたいって思ってしまった時みたいに。それから。
それと同じぐらい――、自分を甘やかしてくれる相手を失うことが、実はすごくすごく怖いの。出来れば依存してしまう前に離れたいと思ってしまうほどに。
……あの頃の私は、ひもじさをまぎらわせてくれる、お兄さん持参のお菓子のことを間違いなく心待ちにしていて……凄くワクワクしていたの。
今日は何を食べられるのかな?って。 そのお陰でお母さんがいない寂しさや、夕飯を食べられない空腹をほとんど感じなくなっていたくらい。 そう。 当時の私、お兄さんのお菓子に依存していたんだと思う。最初のうちはお母さんが遅くなる日限定だった訪問が、いつしかお母さんが早く帰ってこられる日にも来てくれるようになって……。
お母さんも、何故かその人からお菓子をもらうことは咎めたりしなかったから……。
だから私はますます彼のお菓子にのめり込んで行ったの。一番最初にくれたのがキャラメルだったのも、ハッキリ覚えている。
何てことのないキャラメルかと言われるとそうではなくて……。
あんな美味しいキャラメルはそのお兄さんからしかもらったことがないの。市